工場の歴史的価値

半田では、江戸から現代まで続く代表的産業として、食酢や日本酒といった醸造業が知られている。当初はこれらに携わった人々がそのアレンジとして丸三麦酒株式会社醸造工場を建ててビールを造り始めた。
すなわち、半田の近代産業の歴史の一角がこのビール会社である。 明治に始まり、関東大震災以後はほとんど建てられなくなったレンガ造建築は、日本建築史上でも例を見ないほど短い期間でしか建てられていない上、災害や建替により多くが壊されているため、現存している建物はかなり少なくなっている。
当該建物は、その稀少な中でも、東京駅、横浜新港埠頭倉庫に次ぐ大規模な建築物である。 また、明治時代後半に乱立したビール会社にあって、本格的ドイツビールを製造し販売量も飛び抜けていた、5社(サッポロ、アサヒ、キリン、エビス、カブト)の一つであり、この中で現存するのは当工場を含め3~4工場しかないため、この意味でも貴重な存在である。
また、当該建物は明治時代を代表する建築家・妻木頼黄の作であり、技法的に現在では類例が無い特徴をもつといえよう。

妻木頼黄